2024-11-01:
例えば、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の小節数が最初の3楽章合計対4楽章で136:272、次のパルティータ第1番では同様に6楽章までの合計と7-8楽章の比が544:272と、どちらも1対2の設計です。タトロウ氏はマタイ受難曲、ロ短調ミサ曲、クリスマス・オラトリオについても、これらの論文の中で数字探しを続けます。バッハに興味を持つ人たちにはもっと身近に触れてもらえると良いのにとの思いで、今回、意を決してタトロウ氏御本人に接触を試み、これら翻訳のセタQホームページへの掲載許可をお願いしたところ、ご快諾いただきました。
論文というハードルにためらわず、是非、それぞれの写真をクリックしてご一読ください。
2024-9-20:
以下のふたつの記事はセタQのFacebookページにアップしたものですが、4月の演奏会で歌うカンタータ198番と45番の関連ネタなので、こちらにも106番に引き続き載せておくことにします。
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追悼頌歌「侯妃よ、さらに一条の光を」BWV198では、歌い手にとってなかなかの曲者[くせもの]なのが終曲合唱の前、バスの第9曲だと思います。
カトリック権威の虚栄に心動かされない侯妃を「あなたはすべての王妃たちの鑑」と讃えて始まるセッコ・レチタティーヴォから、3/4拍子となる中間部のアリオーゾでは曲想が変わって、ポーランドからザクセンまでの広大な国土を豊かに流れるいくつもの河川について歌います。その歌詞は以下の通りです。
滔々と流れるヴァイクセル、
ドニエステル、ヴァルテがある限り、
エルベとムルデが溢れ出る限り、
都会も田舎もあなたを讃えます。
流れるような16分音符の旋律はまさしく川をイメージさせるもので、まるでオノマトペみたいに分かりやすい書法です。それらの川が国土の中でどのように位置しているのかを見ておくと、そのスケール感も意識できるだろう、ということでそれぞれの川を地図でトレースしてみることにしました。
余談になりますが、こうして見るとポーランドの国土、手中にできるならアウグスト強王は改宗くらいするのでしょうね。
そこから突然ムードががらりと変わり、アコンパニャートに移ります。木管楽器が不協和な減七の響きで参入し、侯妃がすでに亡いという現実の重さを、トルガウやプレーチュという所縁の地を引き合いに描きます。この短いながら極端な変化を纏うソロ曲を我らBASSの強力メンバーがどのように歌い上げてくれるか、楽しみです。
その後「あなたを忘れることはないし、死んではいない」と歌う終曲合唱を締めくくるフレーズは、このレチタティーヴォの始まりと繋がるかのように「王妃たち」への言及です。作詞者ゴットシェートの細かい配慮でしょうか。
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もうひとつの演目《Es ist dir gesagt》BWV45について、ベーレンライター版楽譜の序文を読む。アルフレート・デュルの文章は簡潔と言うか、素っ気ないくらい短いように見える。そう言えば、これまでカンタータ第45番について書かれたものを読んだことがない。クリストフ・ヴォルフの「学識ある音楽家」でも一言の言及も見なかった。カンタータ第45番は一般的に評価されていないのだろうか?
「この作品はバッハの技巧がこれほどの高みにあることを示すもので、それは主題を緻密に編み込んだ冒頭合唱でとりわけ顕著で、圧倒的だ」というデュルの讃辞を見れば、これが凡庸な作品ではないとの認識がベースにあることが分かる。
個人的な印象としては、警告がテーマのこの曲では、「人よ、何が善きことか、主が何を求めておられるか、汝には告げられている。それはつまり、神の御言葉を守り、愛を実践し、神の前に謙虚であることだ」という冒頭合唱の厳格な戒めもすべて確信に満ちたもので、その舞曲的な明るさが全編に溢れている。テノールのアリアの3拍子リズムから16分音符のメリスマ旋律へ、そして端的には曲の中核となるヴィルトオーゾなバスのアリオーゾまで、この朗らかさは好きだなと思ってしまう。
さらにアリアはもう1曲、オブリガート・トラヴェルソに導かれて、アルトが「神のことを本心から語る者だけが神に認められる」と短調旋律をしっとりと歌う、短いながら美しい曲へと続く。
序文の最後にデュルの指摘が興味深い。「作曲の見事さとは対照的に、オリジナルのパート譜は欠陥だらけで、バッハによる修正はわずかしかない。入念な校訂に関してはバッハの演奏素材が特段注目されることはほとんどない – カントルの職務に追われて時間がないため – としても、ここでは何か特別な理由があったように思われる。バッハが病気だったか、他の支障があったとかだ。それでも、後年、改訂がありそうなこの作品再演の機会にも、徹底的な改訂が行われなかったのは不可解だ。」
2024-8-10:
次回の演奏会で演奏するBWV106は、バッハの声楽曲としては最初期の作品で(1707年?)、自身の伯父さんのために作曲されたとも、友人の妹のためであったとも、また時のミュールハウゼン市長の葬儀(または追悼式)のためであったとも言われています。個人的にはこの「誰のために作曲したか」というのは結構大きなポイントで、平たく言えばお仕事として作曲したのか、バッハが自分の親しい人のために作曲したのか、かなり気になるところではあります。
それにしても第1曲目Sonatinaの、何と美しく、突き抜けて澄み切っていることか。近しい人を見送った後に誰もが感じるであろう、心にぽっかりと空いた大きな穴から見える風景のようで、私は月山の弥陀ヶ原の風景を思い浮かべます。まだ写真でしか見たことがないので、近いうちに是非自分の目で見て来ようと思っています。そういえば、月山は死後の世界を表しているのだそうで、時代や宗教、民族の違いに関わらず、親しい人を亡くした時の心境は同じであることだなあと妙に納得しました。
とは言え、21世紀の日本とバッハの時代のドイツとでは、人々をとりまく環境も随分違っていました。
平均寿命を考えてみます。近世以前のヨーロッパでの死亡年齢は主に墓碑銘や家系図、教会簿等によって推定されます。それがどの程度正確であったか、また特定の地域や集団における推定値をどの程度一般化できるかという問題はありますが、それでも1750年には北西ヨーロッパの平均寿命は38年に達していたと考えられ、乳幼児時期をうまく切り抜ければ(ベルリンの一教区では8歳の誕生日を迎えた子供は50%前後だったとの記録もあります)、ある程度の年齢まで生きることができたと思われます。バッハ自身は65歳まで生きましたし、前述のミュールハウゼン市長Adolph Steckerは何と84歳というご長寿でした。
それでもなお、当時の人々にとって死は身近な存在だったに違いありません。14世紀に黒死病として恐れられたペストは、その後もヨーロッパを数年ないし数十年おきに襲い、その流行は広範囲にわたり、特にドイツに目を向けると、17世紀のアウスブルグにおいては1607年、1627年、1628年、1632~1636年に多くの人が亡くなったという記録も残っています。西ヨーロッパにおけるペストの最後の大流行は、1720年代の「マルセイユの大ペスト」といわれていますが、ペストだけでなく、コレラやチフスや天然痘といった命を脅かす疫病は流行を繰り返し、天候不順により凶作や飢饉にも襲われました。またドイツ全土を荒廃させ、人口を30%も減少させた30年戦争(1618~1648)からの復興にも相当な時間を要しました。
バッハ自身は子供時代に母と父を続けざまに亡くしています。最初の妻も亡くなり、20人いた子供も無事成人したのは10人でした。周りを見回せば、程度の差こそあれ、多くの人が似たような経験を持っていたでしょう。
そのような世界において、バッハはどのような心境でBWV106を作曲したのでしょうか。
Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit 神の時こそいと良き時(人は神の定めた正しい時に死ぬ)。
大切な人を亡くした当時の人たちはこの言葉にどれだけ救われたことか。神様が全てを良いように計らってくださるのだから間違いない!「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒行伝17・28)
あの美しいSonatinaから、全てを見通したような明るさのある冒頭合唱へと音楽は続き、神の栄光を讃える最終曲ではアーメンコーラスで盛り上がり、最後の小節はリコーダーがあっさりとトリルを奏で、ふっと消えるように曲が終わります。まるでろうそくの灯が大きく揺れてから消えるかのようなこの終わり方に、どこか仏教的な無常観にも通じるものを感じます。時代や地域、宗教を超えたところにある普遍性のようなものが曲の根底に流れている・・・澄み切った水がさらさらと流れている・・・目を閉じて聴くと、そのような情景がありありと瞼に浮かぶのです。(SA)
主な参考文献
石井太訳「人類の寿命伸長:過去・現在・未来」人口問題研究/国立社会保障・人口問題研究所編66 (3), 32-39, 2010-09
高木正道「近世ヨーロッパの人口動態(1500~1800年)」静岡大学経済研究4(2)147-174,1993-08
渡邉裕一「黒死病後の社会:繰り返すペスト被害と都市の疫病対策」成城大学経済研究所/経済研究所年報 (36), 57-82, 2023-04
2024-7-31:
ガーディナー氏が専制的な暴君として振る舞うという噂は数年前からも耳にしていたし、2015年のThe Spectatorにダミアン・トムソンが「この指揮者にできないことはほとんどない。だがひとつだけ不可能なこと – 礼儀作法だ」と寄稿した記事は『J. E. ガーディナーの横暴』と題されていた。以下はその一部。
・・・ところが音楽家たちは『格好つけ爺』のことを高慢で自尊心に満ちていると話している。タリス・スコラーズを統率するピーター・フィリップスは、自身のコラムでこの爺が「最近、ロンドン交響楽団の金管奏者にキレた」と(明らかに控えめに)書き足した。以来、さまざまな非難が「演奏者を無力感に陥れる」「尊大なプリマドンナ」などと、各方面から漏れ聞こえるようになった。
上記の記事紹介も含め、The Guardianが昨年の8月に大きく報じたのがガーディナー氏のフランスでの暴力沙汰スキャンダルだ。記事の内容を掻い摘まんでおこう。
https://www.theguardian.com/music/2023/aug/31/conductor-john-eliot-gardiner-allegedly-slapped-singer-pulls-out-of-performances
2023年のベルリオーズ音楽祭は8月22日、コート・サンタンドレ(作曲家生誕の地)で『トロイアの人々』の公演があり、終演後舞台袖での打ち上げ中、出演者の面前でガーディナーは英国人バス歌手ウィリアム・トーマスを平手打ちの上、顔を殴った。
指揮者は責任を取って急遽イギリスに帰国、年間の活動自粛を発表した。その後の彼は謝罪を繰り返し、セラピー治療なども受けていたが、今年も自粛はそのままずっと続いていた。
ガーディナー氏の評判に影を落とすことになったこの事件以降、宙に浮いたままだった合唱団やオケと彼の関係にひとつの結論が出されたのが、7月24日のモンテヴェルディ合唱団からの公式発表で、ガーディナー氏は組織に復帰しないという残念な決着だった。
https://monteverdi.co.uk/news/JEG-statement-July2024
カリスマ的創始者が君臨し続ける組織での開かれた進化の困難さか。今後、ガーディナー氏は新たな方面で客演指揮者としての活動を模索するようで、執筆活動にも集中するそうだ。僕は彼のバッハ本を全訳し終えているが、出版にこれはどんな影響があるのやら・・・(TT)
2024-7-20:
来年4月の我々セタQの演奏会ではActus Tragicus(カンタータ106番)をF-durのCarus版で演奏します。
直近では8月にプロムジカ使節団が演奏会を予定していて、466のピッチとの情報がありますね。となると、Es-durの版で演奏することに[恐らく]なるはずで、その意図は?と考え始めます。
バッハ全集新旧ふたつの版で音高が異なるのかと思ったら、415のFに対しては466のEsだとピッチと調でそれぞれ1全音+/−相殺されるので、バッハは元々使用楽器の制約を吸収しようとしただけで、転調したのも曲調を変えようとしたわけではないのだろうと、楽譜を見ながら推察するのですが、実は『新バッハ全集』でこの曲の校訂を担当した樋口隆一氏が当時を回想して次のように書いています。
「106番《神の時は最善の時なり》にしても、リコーダーのパートはヘ長調、その他のパートは変ホ長調で書かれているので、ヘ長調と変ホ長調の2種類の校訂楽譜を作成しましたが、出版されたのは経費とスペースの関係で実用を重視したヘ長調版だけになりました。変ホ長調版は、すでに『旧全集』で出版されていたこともその理由でしょう。」
つまり今や、ミュールハウゼンのオルガンという条件に拘束されるなんてことはないとしても、HIP[歴史的情報に基づく演奏]をめざして行くと、リコーダー以外は466ピッチの変ホ長調版でという実践になるのでしょうね。
そんな調性の話ですが、この作品では調が変遷していく様をガーディナー氏が著書の中で書いています。
作品は対称形の構造に作られており、弔いの音楽として前半は旧約聖書の戒めに沿って、死を厳かに受け入れる心構えとイエスの寄り添いを「Ja, komm, Herr Jesu!」と訴えて変ホ長調から変ロ短調の「沈黙」へと下降して行くのですが、後半は福音書からの心地良く見晴らすような展望で「願いの成就」を歌い、変イ長調、ハ短調を経て、ゆるやかに変ホ長調に回帰するという流れを(Es-dur版を基に)説明しています。
聴いてこの推移を納得して消化できる方は羨ましい限りで、そんな構造のことにまで理解が届かないまま歌うこちらはと言えば、なんと美しい情緒が溢れている葬送歌かと引き込まれるばかりなのです。(TT)
2024-3-30:
2023-8-05:
真夏の8月の炎天下、大盛況の演奏会がカトリック築地教会であったことを報告しないわけには行かないでしょう。われらがグループの隅石、ひらちゃんが長らく温めてきたプライヴェートなソロ・コンサート ➡《バッハに魅せられて》を敢行したのです!
しかもバックの楽団は何と、写真で見る通り、青木先生を始め、コンマスの原田さん、チェロの山本さん、管楽器もトランペットの斎藤さんやリコーダーの高橋さんなど、セタQ演奏会の常連という布陣が手配されるという凝りようで、プロ歌手ではないひとりの演奏会としてはあり得ない構成、そのソプラノ・アリアの選曲も魅力溢れるものでした。それをひとりで構想して動かそうということがそもそも尋常ではありませんが、11月本番を控える我々としては、この会場での公演が初めてとなるので、その予行演習を兼ねて多くの団員がサポートに汗を流しました。
見かけほど収容力は大きくないし、両端の席は視界を柱に遮られるなど、万全と行かない面もありますが、歌の力がそれを上回れば、来場いただいた方々に喜んでいただけることを目のあたりにした体験でした。
2021-9-20:
セタガヤQuodlibetも(御多分に漏れず?)最高齢は70代に入っている。長いコロナのトンネルに入って、活動もこのホームページも完全に凍結状態に陥って、出口が見えないまま、座して歳をどんどん取っていくという恐怖感とも戦うことになっているのだ・・・。
そんな時に何とも心強い大先輩の実践者の話題が東京新聞の社説に掲載されていたので、取るものも取りあえずそれをここでご紹介させていただこうと思った。老化防止策らしきものも書かれているので、世の合唱老人にはきっと貴重な朗報となるだろう。
「ワシもこれに勇気をもろうて、リモートでも何でも、前に進まにゃいけんのう」と思うちょります・・・。
因みにチラリと地名がここに出ている広島の呉市は、あのアニメ映画『この世界の片隅に』の舞台となった(昔は軍港の)小さな街です。(TT)
2020-3-20:
演奏会が終わって2ヶ月も経っていますが、ようやく新しい楽譜が到着です。実は演目を何にするのか今回はなかなか決まらず、ともかく練習を始めているBWV25/66/127の3種類を第1陣として取り寄せましたが、これで決定という訳ではありません。
通常より管楽編成が膨らみ実現可能かの吟味と並行して、意中の奏者が確保できるか調整も続いているところです。今回も違った意味でハードルの高い企画になりそう。しかし練りに練った上での候補作品ですから、いずれも素晴らしい曲だと痛感していますし、皆様にも実感していただけるのではないかと期待しています。(TT)
2020-1-11:
オケ合わせが始まりました。今日から2日間、朝日ホールリハーサル室にてみっちり仕上げの作業に入ります!
チケットも残りわずかとのことで、良い感じになってます。
2019-2-08:
こちらは2019年版の蘆野ゆり子さんのカリグラフィー・カレンダー、バッハやヘンデルを歌う人なら部屋に飾って愛さずにはいられないアート・カレンダーです。
初めての出会いは数年前、ライプチヒで偶々気に入って買って帰るも、その時は蘆野さんの作品とは知らず、その後ギャラリーコンサートで即売会に出会ってからは東京でチャンスがあれば買っていました。今年は御本人にお目にかかれたので直接買うことができました!
淡野弓子先生談によれば、蘆野さんは「シュッツ合唱団でシュッツを歌っているあいだに、ドイツでカリグラフィーに出会い、パッとひらめいて、シュッツのモテットの歌詞を音楽的に描いてみた」のが始まりだそうです。
今までリングタイプは日本では作ってもらえなかったのが、今年はやってくれるところをネットで見つけて日本でも作ったとのこと。「それは売り切れちゃったのよ」とおっしゃるので、「いえいえ、ドイツ版で」と言うと、「そちらはね、トランクに入れて私がドイツから持ってきたものなの」。
わーーい!
かくして逆輸入のようなこのカレンダーを手に入れました。
[SC]
2018-12-21: Sing-along Messiah!
第九が定番の日本と違って、欧米では師走の音楽会はメサイアで決まりのようだ、というのが2010年ちょうど今頃のトロントでの印象だった。僕が聴きに行ったTafelmusikの演奏会は水曜日から4日間連続でメサイアを演じ、日曜日には観客が合唱するSing-alongで締めくくるというしきたりを長年続けていた。
他にCBC Symphonyなどもメサイア演奏会を催していて、まさにメサイアだらけの待降節という感じだ。
Sing-alongの楽しげな雰囲気のひとコマを動画でご覧あれ➡写真をクリック。[TT]
2018-12-08:
演奏会が終わって既に3週間、新シーズンに向けての始動です。
まずはお茶とお菓子を用意して茶話会スタイルで演奏会の反省から。
もちろん反省点は色々ありますが、次回への課題としてはアンケートをもっと回収する努力をしてお客様の声を聞くこと、セタQの存在をもっと広く知っていただくようHPなどを活用することなどが指摘されました。
練習の声出しにクリスマス・ソングをいくつが合唱してみました。
2018-11-18:
演奏会が終わった翌日に、何ともタイムリーに、次回のフルスコアとヴォーカルスコアをまとめて発注していた楽譜一式がドーンと到着!
ドイツからの直送ですが、発注から到着まで約10日と速く、しかも普通便としたのにDHLのトラッキング付きで本当に普通便料金で収まるのか不安視していたのですが、実に機能的な版元Carusのビジネスを感じました。
(写真は新しい段ボールに興味津々の猫、「クンクン、何か外国の臭いがする・・・」)
2018-11-15:
14:00いよいよオケ合わせが始まりました。
今までキーボードでの練習だったので各楽器がどんな音を奏でてくれるのだろうと期待に胸膨らませながら臨みました。
★まず170番から
「お~~、そうだよね、そうだったよね、この音、この和音、このリズム」。最高に息の合ったオケのメンバーの奏でる音楽は生き生きとしていてバッハの音楽そのものでした。
一言でいうと「うまい!」− 指揮者の要求に「七変化」。
指揮する先生もなんだか楽しそう。
170番の青木先生のソロカンタータは今、この世で聴く最高の演奏になること間違いなしと確信しました。「満ち足りた安らぎ、嬉しい魂の喜び」
この歌の内容をどんなふうに聴かせてくださるのか、ワクワク楽しみです。
★ソリストは団内オーディションで決定。
素人なんだから・・・・という考えは先生には通じず、
お客様の前で歌うからにはプロですよと。
オケ合わせは順調に進みました。
やっぱりキーボードで歌うより何倍も何百倍も楽しい。
通奏低音の揺らぎの無い確固たる合わせが気持ちよく幸せ。
★コーラスだけで作ってきたこと、形を崩さないというところもあり、
オケに乗るところもあり、助けていただくところもあり、何だかんだと
オケとコーラスが一体になってきたんだと嬉しく思いました。
今年はコーラスが20人、オケが12人。
少人数だから横が見えて前後を感じて間近で息遣いもボーイングも感じられる。そういうのってなかなかできるわけもなく、聴くこともなく、
あ~~、なんと素晴らしいことなんでしょう。
あ~~、ますます本番が楽しみになってきました。
(内心ではドキドキ)
だんだん体も耳も目も心も寄り添ってきた感じになって、
明日へとつないでオケ合わせの一日目は終わったのでした。(SC)
◇ ◇ ◇
土曜日に本番を控えて、今日は初めてのオケ合わせ。
私はソロも担当してるので、ドキドキわくわく♪
初めてと言っても、お馴染みのメンバーなので最初から息もぴったりの
素晴らしい演奏で、安心して歌えました(^。^)。
この素敵な曲たちをオケと歌えるのもあと二日と思うと、寂しい気も
しますが、心残りのないように、心をこめて歌いたい…
明日へ、そして明後日の本番へと、さらに良い音楽になる事を信じて
がんばります。(AS)
午後集合して、まず、ソロ・カンタータでスタート
アリア、レチ等ソロ曲を次々にオケ合わせ
写真はここまでだが、夜には全員集合で合唱曲。21時終了!
2018-9-24(祝):
セタQの本番も乞うご期待! (AS)
2018-06-11:
昨夜まで3日間の「カンタータ・リング」の興奮が冷めやらぬ今日は、休養と買い物に当てることにした。聖トーマス教会の傍らにあるThomasshopは開店20周年だそうだ。Kaffekantateというエスプレッソ用のtasseをおもわず買ってしまった。すぐそばのバッハ・ミュージアムの売店で、来年のパンフレット(概要版)をゲット。何でも、来年のフェストでは宮廷楽長としてのバッハに焦点を当てるとか。カンタータはヴァイマール時代のものを特集するらしい。曲目を見たら今年の33曲の中に選ばれた曲が大半を占めている。今年のようなビッグネームも来ないようだし、来年も来るかは?だな。
その後、いつも行く楽譜屋さんへ。カンタータの楽譜は棚の高い所に並んでいるので、おじいさんの店員に出してもらった。お目当てはバスのソロ・カンタータの82番だったが、出てきたのはソプラノ用。「私、テナーなので」と言って、これ幸いと買ってきた。5.8€だった。何かの機会に歌ってみたい。
2018-6-12:
ライプチヒ5日目。今朝はだいぶ気温が下がり、上着なしでは寒いくらいだ。ライプチヒ中央駅から電車に乗って、バッハの二人めの奥さんとなった、アンナ・マグダレーナが生まれた、Zeitzという町に向かう。
ライプチヒから南南西へ40分ほどにあるZeitzはひなびた田舎町だった。駅も閑散としており、街中では車はそこそこ走っているが、歩いている人はほとんど見かけない。坂が多いので、人々は時々来るバスに乗っているのだろう。
坂道の途中にあるというアンナ・マグダレーナの生まれた場所にある建物、なんとか発見できたが、今は誰も住んでいないようだ。よく見ると廻りはほとんど空き家で、廃屋に近いものも散見される。この辺りは夜歩くのは危険という雰囲気だ。
坂を上りきった辺りが町の中心らしいが、教会があるくらいでお店など何もない。しかたなく駅の方向へ引き返して、Moritz城に行ってみた。お城はそれなりに立派なものだったが、1階は 「乳母車博物館」になっていた。Zeitzは乳母車の町なのか?お城のレストランに入ったが、貸切状態だった。シュニッツェルとホワイトアスパラを美味しくいただいた。
ライプチヒ5日目の夜は、ゲヴァントハウスでメンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」を観賞。鈴木雅明さんの指揮で、BCJとJuilliard45の合同チームによる演奏だった。私はこの曲はよく知らないので、何とも評価できないが、受けた印象としては素晴らしい演奏だったように思う。カーテンコールでの客席の反応も上々だった。ただ、お客さんが少なかったのが気になった。真ん中の良い席はそこそこうまっていたが、斜めや側面の席はガラガラで、全体では50%いってないように見えた。「エリヤ」ってあまり人気ないんですかね。
2018-6-13:
ライプチヒ6日目。日曜日までは真夏の陽気だったのに、今朝はどんよりと雲って、早春の頃の寒さだ。これからバッハがオルガンの鑑定をしたというNaumbergを訪れる。列車は最初ガラガラだったが、途中から幼稚園児らしい団体が乗ってきて、とても賑やかになった。
小一時間で到着したNaumburgは、昨日行ったZeitzより都会だった。まず、駅から歩いて10分ほどの所にある大聖堂に行ったのだが、そこで見た日本語の解説によると、1028年にZeitzからNaumburgに司教座が移され、教会が建てられたとある。
大聖堂からさらに5分ほど歩くとMarkt広場があり、隣接してヴェンツェル教会がある。ここのオルガンは1746年以来のもので、完成に際してバッハが鑑定したとのこと。今日のお目当ては毎週水曜と土日祝日の正午からやっている30分間のオルガン・コンサートを聴くことだった。11時過ぎに教会に入ったら、幸運にもコンサートのリハーサル(練習)を聴くことができた。コンサートではバッハとその一族の作品が3曲演奏された。聴衆は100数十人で、ほとんどがドイツ人と思われるリタイアした夫婦連れ。もちろん日本人は(東洋人も)私一人だった。
Naumburgは午後になって風も出て来て、コートがほしい寒さとなった。駅で行き・帰りとトイレを使ったのだが、門番(?)のおじさんがかなり危ない風貌(最初、引き返そうかと本気で思った)。サンタクロースを浮浪者風にしてTシャツと短パン履かせた感じ!?トイレ料金の相場は70セントのようだ。近年値上がりしているようで、トーマス教会のショップの地下は90する。たしか去年は70で、その前は50だったような気がするが。。。
で、そのおじさん、私が財布の小銭を減らそうとたくらんで、細かいのをたくさん出したら、「ぴったし!」みたいなことを言ってにこっと笑った。けっこう良い人みたいだ。帰りは交替してるかなと思って寄ったら、その場で食事中だった。トイレ帰りに階段を登った所に地図の付いた案内図がいくつかあったので見ていたら、下からNaumburgのはその隣のやつだよと声をかけてくれた。かなり良い人のようだ。
寒い中、ホームで列車を待っていたら、そのホームを貨物列車が通過していった(それも私の乗る列車と反対方向に向かって)。日本ではあり得ないのでは。
車内での検札は確実に来る。でないと、改札がないから只乗りし放題になる。ただ、2回もやられたのにはまいった。でもよく考えたら、自由席で客の入れ替わりも激しかったから、車掌も覚えてられないだろう。
夜はゲヴァントハウスで、A.Schiff演奏のゴールドベルク変奏曲などを観賞。前夜と違って9割方の席がうまっていた。ゴールドベルク変奏曲といえば、バッハの音楽などほとんど聴かなかった家内が、特に最初の曲を病床でもよく聴いていたのを思い出す。バッハの音楽は救いと癒やしに満ちている。
2018-6-14:
ライプチヒ7日目の朝は、カトリック教会でカンタータ84番などを聴いた。93年生まれという若いソプラノは、84番ではまだ喉が暖まってない感じだったが、次のC.Graupnerのカンタータではよく伸びた美しい声を聴かせてくれた。Graupner、どこかで聞いた名前だと思ったら、世が世ならバッハの代わりにトーマス・カントールになっていた人物だった。Darmstadt市から引き留められて断念し、1760年に亡くなるまでそこのカントールを務めた。驚いたことに、生涯で46年分1400曲のカンタータを作曲したという。その内の1曲が今日の曲だったのだが、それにしてもバッハもびっくりな曲数でありながら、ほとんど知られていないのはなぜだろう?聴いてみて、けっして悪くないと思ったが。 今朝の演奏会は礼拝の中で行われ、聖書の朗読や神父のお説教、讃美歌(カンタータなどでよく知っている曲だったので、一緒に大声で歌ってしまった)などが間にはさまっていた。不思議に思ったのは、土曜日にトーマス教会で聴いたMotteteとほぼ同じ形式だったことだ。最後にカトリックでいうところの「主祷文」を唱えることも同じ。宗派によらない儀式の形式があるのだろうか?
私にとってライプチヒ最後の夜(フェストはまだまだ日曜日の夜のクロージングのロ短調ミサまで続く)は、8時から聖トーマス教会でマタイ受難曲をフランスのLa Chapelle Rhenaneの演奏で聴いた。合唱は各パート2人ずつで16人、それにアンナ・マグダレーナ・バッハ学校の少年合唱。エヴァンゲリストはさすがに合唱に加わらないが、イエス役のバスは第1合唱に加わっていた。
YouTube で彼らのヨハネ受難曲の斬新な演奏を聴き、期待していたのだが、正直ちょっとがっかりした。一言でいうと、やりたいことが伝わってこない感じ。また、テクニック面でも、早いテンポの合唱で(残響のせいでそう聞こえるのか)破綻がみられた(偽証人の二重唱なんて、ずれたというか、テナーが途中で落ちたように聞こえた)。
一部のコラールでは、一節ごとに小休止する。フェルマータではなく、1秒間くらい音楽が止まるのだ。まあ、聴いていて、これもありかなとも思ったが、意味的に次節につながっていて、私たちが息継ぎしないで繋げて歌うように教えられた所も、切って歌っていた。
私的には、エヴァンゲリストは、張りのある声で良かったように思う。カウンター・テナーの歌う39番Erbarme dichも良かった。
演奏は途中10分間の休憩とプログラムに書いてあったが、第2部が始まったのは20分後、終演は11時前になった。まあ、とにもかくにも、バッハのお墓がある聖トーマス教会でマタイ受難曲が聴けて良かった。[TU]
2018-8-14: 今年のBACHFESTは6月8日[金]、異常な暑さの中で始まった。ドイツ各地ではここ数日雷雨が頻発していたらしく、実際、私もその影響をもろに受けて、開幕前日の7日[木]にミュンヘンに到着してみたら、ライプチヒ行きの乗継便が天候の影響で飛ばず、ミュンヘン空港近辺のホテルで予定外の1泊をするはめになった。
今回のフェストの目玉<Kantaten-Ring>というのは、Bach Archivの総裁でもあるJ. E.ガーディナーの発案で、ライプチヒ出身の後世の偉大な作曲家の4部作になぞらえて名付けられた企画で、バッハ・フェストの開幕からまる2日間に、バッハ生誕333年を記念して、教会カンタータのベスト33として選ばれた曲を10回の演奏会で演奏しようというもの。すでに全カンタータを演奏あるいは録音している演奏団体が招聘され、J.E.ガーディナー、T.コープマン、鈴木雅明、H.C.ラーデマン、そしてトーマス・カントルのG.シュヴァルツという錚々たる顔ぶれが分担して演奏会を指揮する。カンタータ・マニアにはまさに垂涎の催しである。[TU]
➡その報告全文はこちら
2017-7-29: 次回の演奏会は11月予定なので選曲には待降節のカンタータを軸に据えたいねという話から候補を絞り込んで行ったとき、アルトソロがどの曲にもなくてどうしようということになった。
知恵出しをするうち、アルトの大曲170番が素晴らしいとの声が複数名から出てきたが、さて、先生に歌ってもらえるだろうか??ちょっと戦々恐々気分で、61/36/170/196/93番の打診をする。
先生からの返事はこんな感じでした: 《170番を歌うことは問題ないですが、これら候補の5曲は全てやるとすこし長いですね。待降節をイメージするならば61番はとても重要なカンタータなのですが、経済的なことを考えるとヴィオラが2本の61番をカットすることになるかと思います。何を優先するかだと思います。》
まずは「ヤッター!」と内心雄叫び。最終的に196番を外して4曲で行くことにまとまった。[TT]
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